カンキセン

星屑ロンリネス

子どもがうまれたよ


子どもがうまれました。
うみました?
出産しました?
なんと書くのが正解かはわからないけど、とりあえず息子がわたしの腹の中から、わたしのいる世界に出てきました!お誕生日おめでとう!

人生初の経験がこれでもかというくらい盛りだくさんだったので、たいへん長くなるけど忘れないうちに記録しておこうと思います。


◆出産当日のこと

ちょうど39週の健診の日だったので、病院で受付し、NST(ノンストレステスト)というのをしていると、胎児の心音をひろって記録している機械の様子がおかしくなりました。
おなかに巻いてる器具がずれたのかな??とか呑気なことを思っていると、看護師さんがピューと飛んできて、なんかやばそうな雰囲気で他の看護師さんに「先生呼んで!」と言い、それから私に「大丈夫ですよ〜」と言いました。看護師さんのその様子と言葉があまりにもちぐはぐな感じだったので、こういうときはあんまり大丈夫じゃないということだよな…とぼんやり思いました。
看護師さんに言われるがままに体の向きを変えたりなんだりしていると、機械の様子が元に戻って、説明してくれることには、3分くらいの間、胎児の心音が急に弱まっていたので、引き続き心音の様子をみて、よくなさそうだったら今日緊急に帝王切開で出産することになるかも、とのこと。
それを聞いたとき、後から考えたらまじで気がおかしくなってたなーと思うんだけど、「子どもの誕生日は今日になるのかー、今日って何日だっけ?誰かと誕生日一緒かな?」とか考えていました。子どもは完全に無事であるというなぞの楽観視でありました。

いっしょに健診に来てもらっていた実母に入院セットを取りに家に行ってもらい、そのあいだに通話の許可がおりたので、わたしは夫に連絡。ちょうどお昼どきだったので、わりとすぐに折り返し電話をかけてきてくれました。
が、状況説明をしようとするのに、何をどう説明すればよいのかわからず、あれ、わたしやっぱり焦ってるのかな、とこの時初めて思いました。しかしわたしは元来ひとに何かを説明するということがすこぶる不得手な人間であるので、まあいつもこんなもんか…と思いつつ、とりあえず今日うまれるかもしれないしうまれないかもしれないけど、何時頃こちらに到着できそうか教えてくださいと伝えました。ごめん、夫、これじゃ本当にわけがわからなかっただろう…

電話をしている最中にも血圧をはかったり採血をしたり点滴用の針をさしたり、どんどん手術の準備は進んでいきます。レントゲンと心電図もとりますね、と言われたのでどこかに移動するのかな?と思ったら、技師の人たちが大きな機械をゴロゴロと運搬しながら代わる代わるやってきて、わたしをその場から動かすことなくレントゲンと心電図をとってくれました。驚きました。看護師さんに毛を剃ってもらったり(申し訳ない)、おしもにも管を入れてもらったり(痛い)、人生初の体験が一度にやってきてなんだか目眩がしました。

そしてついに、わたしは手術室に向かうこととなりました。初めに異変がおきてから2時間半くらいのことです、超スピードバリマックス
入院セットを持って戻って来てくれた不安そうな母に見送られ、手術室には自力で歩いていきます。この辺りでようやくなんとなく状況を理解しはじめ、緑色っぽい手術室に入って患者取り違え防止のために氏名と生年月日を確認されたときに自分の声が震えていることに気づき、「緊張している!こわい!」と思いました。テレビでしか見たことのない緑色の服を着た執刀医が「大丈夫かな?」と問うてきたので、「とても緊張します…」とこたえました。よく顔をみるといつも健診でお世話になっている先生だったので、すこしだけ安心しました。(わたしは裸眼だったので全世界がぼんやりしていました)

横向きに寝て、麻酔科の先生がわたしの背中に針を刺します。歯医者さんで「麻酔が効きにくいみたいね」と言われることの多いわたしは、心の中で「痛いのは怖いのでガンガンにかけちゃってください…!」と念じました、麻酔科の先生に届いたかはわからないけど、ちゃんと下半身の感覚がなくなっていきました。あっという間にまるであったかい温泉で下半身だけ浮いてるかのような感覚になって、たいへん驚きました。

仰向けになって、そこからはもう怖すぎて精神の逃避活動に全力を注いでいたので細かいことはよく覚えていません。全然痛くないけど振動だけは感じて、気を抜くといろいろ想像して意識を失いそうだったので、目を閉じて頭の中で必死に歌をうたっていましたが、いろんな歌をうたうもすべてAメロから先に進めずたいへん困りました。助産師さんがずっと右手を握っていてくれたのでありがたくて泣きそうになりました。そしてなぜかチャットモンチーの風吹けば恋という曲のAメロを歌っていた頃、クワッというカエルの鳴き声みたいなのが聞こえて、お?と思ったら「おめでとうございます!」とその場の人々に言われて、子が誕生したのだということがわかりました。カエル…蛙…と思っていると助産師さんがわたしの目の前に子を連れてきてくれました。初めて見る息子は、灰色の皮膚をしていてどろどろで、顔をくっちゃくちゃにして一生懸命クワッ、クワッと泣いていました。手を伸ばして指で触れてみるとミニチュアみたいな手で握り返してきたので「生きてる…!」と思って、ちょっとだけ泣きました。

「子は無事だったし、またこわいし、寝よ…」と思って再び目を閉じようとしたとき、お医者さんがわたしの顔を覗き込んで「へその緒、すごく短いね。これだと普通分娩でも結局帝王切開に切り替えていたかもね。」と言いました。わたしはもうすでになんでもいいやという気分になっていたので、なんかすごく適当な返事をしてしまったかも知れません、よく覚えてない、ごめんなさい先生…

手術が終わっても、なんでもいいや状態が続いており、服を着せてもらったりなんかいろいろしてもらってるときにハッとして時計をみたら手術室に入ってから1時間も経っていないことに気がつきました。ようやく「夫は無事に病院までたどり着けたかなぁ…」というところに思考が行き着いて、そしてまたすぐぼんやりしました。

ベッドに寝たまま運ばれていくと、夫は到着していて、「えらかったねぇ」と褒めてくれました。わたしは何もしてないけどなーと思ったけど、せっかくだから褒めてもらっておこう〜と思って「うん」と答えました。

麻酔がきれてからは、切開した傷口の痛みと子宮収縮の痛み(後陣痛というらしい)でめちゃしんどかったです。人生なめてましたすみません……と誰にかはわからないけど謝りまくりたい気持ちでした。普段なら「座薬とかまじ勘弁(尻に入れるなんてこわい)」というスタンスのわたしが「もうなんでもいいので早くこの痛みから助けてください座薬でもなんでも入れちゃってくださいお願いします…!!!」という感じになる痛さでした…。座薬は点滴の痛みどめより効いてよかったですが、結局夜は眠れず、夜明けはまだか…夜明けはまだなのか…となぜか夜明けを渇望していました。夜が明ければすべて解決するんじゃないかという謎の期待感。
まあ夜が明けても完全には解決せず、変わったことは呼吸ができるくらいの痛みに落ち着いたことと、おしもの管や脚につけてた血栓予防+むくみ防止のマッサージ機がはずされたということだけで、なんでか横隔膜が痛くて再び呼吸ができなくなったりベッドに乗り降りする動作だけでつらすぎて涙が出たり…としていたら、結局息子を病室につれてきてもらえたのは夕方になってからのことでした。
息子は抱っこすると、目をあけて少し眩しそうにしたあと、また目を閉じました。そして一瞬で新生児室に帰っていきました。かわいいと思いました。
抱っこするまでは、「ほんとにわたしの子は産まれたのか…?」「まだ実はおなかの中にいたりして…」「そもそも本当におなかにいたのか…?」という感じだったけど、息子を抱っこしたら急にその存在が現実として認識されて、手術室で対面した時よりもっともっと感動しました。
それと同時に、健診のNSTの最中じゃなかったら、医療がここまで発達していなかったら、息子もわたしも助かっていなかったかもしれないなーと思って、怖くなりました。わたし、事態を認識するの遅すぎかよと思うけど…
これから先、子が大きくなるにつれていろいろ欲が出てきて、こんなことがあったということすら忘れて生活してしまうかもしれないけど、無事にうまれてきたということをいつまでも大事にしていけたらいいな……とそんなことを考えました。
無事でよかった、ほんとによかった。
超絶長い日記、おしまい。